今日は牛の分娩実習があり、無事子牛が産まれました。ちなみに六班の牛です。
観察していて気付いたのですが、本当に牛も人間と同じようにお産をするんですね…
大きく息を吸い込み、ウンッと声を上げて力むと同時に子牛の足が見え隠れします。
そして産まれ落ちるその時、徐々に激しくなっていた母親の呼吸が最高潮に達するのです。
それはもう壮観と表現出来るほどのものでした。
分娩の終了間際にはしっかりとこぶしを握り、がんばれ、がんばれと呟く自分がいます。
二次破水が無かったため、産まれたばかりの子牛は羊膜に包まれたままの姿で外に出てきました。
すかさず先生方が近寄り、それを指で裂き、羊水を飲んでしまったかもしれない子牛の為に口に指を突っ込み、皆で逆さづりにして吐かせ、そしてようやく一安心出来る状態になりました。
勿論、それはあっという間の出来事でした。
事が済むと母親はすぐに子供に近寄り、その体を奇麗に舐めまわし始めます。
子牛は可愛らしく目をぱちくりさせながら母親に身を任せていました。
十分程経った頃、丁度、子供の体の汚れが落ち切った時、ミルクが与えられます。
産まれたばかりの子牛は勢いよくニップル(哺乳ボトルの口)に吸いつき、あれよあれよと2リットルものミルクを飲み干してしまいました。
それは自分たちが育てた二頭の子牛(ユキとパンダ)の勢いに勝るとも劣りません。
どうやら今回産まれた子牛はどびっきり元気だったようです。
あっという間にひとつの個体として動き出す「生」の、もの凄い力を感じました。
ところで、皆さんは牛の受精卵移植技術というものをご存知でしょうか。
これは受精卵(胚)を直接移植することによって人為的に双子を作り出すという技術です。
肉用子牛一頭つくるのにかかる費用の70%強を、母親牛の餌代と飼育にかかる人件費が占めています。
つまりこのことを考慮すると、双子にしてしまえばそのコストは半減されるのです。
そう、この技術は「折角だから無理にでも双子にしよう」という考えのもとに開発されました。
無論、分娩時での子牛事故率も単子分娩に比べて高くなります。
しかしこれは現在も盛んに行われ、コストを下げる技術として非常に高く評価されているそうです。
平たく言ってしまえば、食うため、稼ぐための技術です。
それが畜産というものなのでしょう。あくまで、人間の為の技術ということ。
このことを考えれば、先の分娩がまた違ったように見えてきます。
ダイナミックな「生」を意識させるその迫力。
人間と変わることなくうめきながら力み、頑張る母親。
そして、この世に生を受け、自分の足で立ち上がろうとする子牛。
それらが茶番のように見えてしまうのは自分だけでしょうか。
確かに、畜大で生まれた牛たちは大切に育てられるでしょう。
しかし産まれ落ちる子牛の多くが「食べられる為の命」なのです。
そして彼らにも同じような分娩があり、必死に頑張る母親と子供がいるのです。
この現実から目を背け、ただただ産まれた子牛を愛でるだけではまずいのではと感じています。
分娩の知識、そして技能がただの「肉を生産する為の技術」となってしまわぬよう、今一度この皮肉に向き合わなくてはいけないのでしょう。
そんなことを考えさせる分娩実習でした。